伊豆・沖縄・ダイビングの想いで
僕がダイビングを始めてやったのは20才になる前
僕がダイビングを始めてやったのは20才になる前でしたから、もうずいぶん前のことです。その時はライセンスが必要なんてことも知りませんでした。田舎町の漁師だった知合いのおじさんに誘われて潜ったのです。真っ黒のウェットスーツと丸いマスク、残圧計があったかは覚えていません。 「空気がなくなったら上がれよ」なんて言われて「そうか・・・」なんて納得して潜ったのですから、いくら水泳が得意だったとはいえ、今思えば危険ですね。それにその頃のダイビングの目的はアワビやウニやサザエです。しかし、そう簡単にサザエが見つかるわけはありません。 興奮と緊張でエアーの消費も速く、初めての潜水はあっという間のことでした。それでも初めて水中で呼吸をした時の感動は今でも忘れられません。これがダイビングに足を突っ込んだきっかけです。
僕の初めてのダイビングは漁港のそば
僕の初めてのダイビングは、漁港のそばでのとってもいいかげんな体験でした。ファンダイビングのことやPADIのような潜水団体のことを知ったのはそのしばらく後です。ダイビングにはかなりのお金が掛かることも知りましたね。 オープンウォーターのライセンスが10万円ポッキリ!安いよ!なんて言われても、二十歳そこそこでは、そう出せるお金ではありませんでした。器材の値段にも驚きましたね。BCDが10何万?なんだそりゃ?ってかんじでした。 でもかっこ良かったですね。漁港で潜った時はもちろん古いハーネスで、ただのベルトですから、カタログで見たオレンジ色のベストのようなデザインに黒いゴムホースの付いたBCDは宇宙服とはいかなくても、なんかすっごいモノに見えました。カタログを見ているだけで水中の感動が戻ってくるようでしたね。
ウェットスーツは黒やグレーにラインが入っている程度
僕がダイビングのことを知った頃は、それほど情報がなく、本屋でみる雑誌以外には情報源はありませんでした。ダイビングがはやるきっかけとなった映画「彼女が水着に・・・」はもう少しあとです。 雑誌でみるウェットスーツは黒やグレーにラインが入っている程度で、「又がけ」っていうデザイン。上着の後ろに尻尾みたいなものがついていて、それを又のあいだから前に回して引っ掛けるんです。最近はまったく見ないですね。当時ライセンスを取りたくても、貧乏学生だった僕には手の出せない遊びでした。それにローンを組んでバイクを手に入れたばかりだったのです。せめて海を見に行こうと、よく行ったのが三浦海岸でした。 ある時、海岸に止めて海を見ていると、黒ずくめの男が2人、海から上がってきたのです。たしか、水中銃を持っていたような気もします。かっこ良かったですね。
海で魚やタコを捕まえるのはムリ
以前テレビで1ヶ月一万円生活ってやってますよね。濱口が海で魚やタコを捕まえるやつです。いきなり変な話ですが、沖縄で昔からダイビングをやっている人の話を聞くと、やはり、ダイビング=漁なんですね。ダイビングがレジャーとして一般的でなかった頃は、ダイビングではなにか食べるものをとってくるのが当たり前だったのです。 ダイバーになった頃に、北海道の出身の方に知り合いました。地元でダイビングをしていた頃は、散々アワビやウニを採っていたそうです。採れたては想像以上に美味いですからね。それで彼はそのおもしろさにはまって、ついに潜水病(減圧症)になったそうです。全身を針で刺されるような痛みだったと言っていました。2週間ほどチャンバー(減圧室)に入ったそうです。それに懲りたのか僕と会った頃は、実に慎重で安全第一のダイバーでしたね。 さて、濱口君の話ですが、テレビで放映されたあと那覇の釣具店で数名の若者がたむろっていました。明らかに旅行者、なんとモリを購入して、これから海に向かうようです。なんと!危険ですから絶対マネしないでください。そんなに簡単に魚は突けませんから。
バイクに乗って三浦海岸でダイビング、が当時の夢
ダイビングが気になり始めると、毎日毎日、海のことばかり考えていましたね。まだ学生でしたから、やることは一つ、バイトです。バイクのローンもあったので効率の良いバイトを探さなければなりませんでした。バイクを手放すことも考えたのですが、器材を積んでバイクで三浦海岸に行くのが当時の夢だったので、それはできませんでした。 しかし今考えるとバイクに乗って、ダイビングってのも変ですね。どうするつもりだったのかな?オレは・・・。夜のバイトや塾のバイトが多かったですね。おかげで成績はボロボロでした。しかし努力のおかげで?ついにダイビングの講習を受ける日がきました。嬉しかったですね。講習が始まる一周間前に手にしたテキストは、3日で、マスター、すっかり覚えてしまったと思います。水圧の仕組みや、ダイブテーブル、器材、そして海の事、どれも魅力的でした。
雪のちらつく中でのダイビング
すごい台風が来ました。沖縄本島は強風域をかすめただけですみましたが、海は見たこともない大荒れでした。さすがにダイビングなんてできません。雨・雪は海に潜れば関係ないのですが、波を起こす風には弱いですね。 ダイビングにはまって、毎週潜っていた頃は夏冬関係ないのはもちろんのこと、雨の日でも潜りに行きました。都内が土砂降りでも伊豆に行けばやんでるんじゃないか?なんて訳の解らない確信で、結局雨の中でも潜っていましたね。 2月は伊豆の水温も14度くらいにさがりましたが、当時のダイビング仲間には元気な連中が多く、自分もそうだったので、雪のちらつく中でのダイビングも何度か経験しました。もちろん寒かったですよ。歯がガチガチ鳴るんです。今は考えられないですが、ダイビングの後の温泉は天国のようでした。
伊豆半島、初めて海に潜ってから2度目の潜水
僕のダイビング講習の話です。場所は伊豆半島、初めて海に潜ってから2度目の潜水でした。知識も付けていたし、器材もちゃんとしたものだったので、入る前から興奮状態でしたね。嬉しくてたまらなかったのです。オマケに講習生は若い女性3人を含む5人構成、なんか大人の遊びって感じでしたね。2泊3日週末2回の講習でした。 今ダイビングのライセンスは五万円前後ですが、当時は高かったですよ。たしか10万以上かかったと思います。そしていよいよ海の中へ・・・、いや驚きましたね。これが本当のダイビングなんだって感じました。 思えば最初に潜った漁港は3m程度の、魚もほとんどいないタイドプールみたいなところだったんですね。なにより目の前を魚が泳いでいくのが、不思議で感動的した。魚を追いかけ勝手に動き回る僕は、イントラに捕まえられ、陸に戻ったあとは散々説教をくらってしまったのです。
ダイビングのライセンスを取ってすぐの頃は無茶ばかり
ダイビングのライセンスを取ってすぐの頃は、今思えば無茶をやっていました。当時でもダイビングはガイドをつけて潜るのが通例、本土から沖縄に来てガイドなしで潜るなんて、普通はかんがえられません。 伊豆あたりでもショップのツアーに参加して潜るのが普通でした。しかし、お金のない僕は、1本目のファンダイビングが、友人と2人だけ。もちろん初めてのポイントです。度胸があったのか、バカなのか・・・。 その後は、周りの人を誘い込み、ライセンスを取らせ、ダイビングチームをつくってあちこちで潜っていましたね。イントラ気取りだったのかもしれません。幸い一度も事故はありませんでしたが、海をなめるととんでもないことになります。ちょっと危なかったなと思うようなことが、何回かありましたね。それがイントラへの勉強をするきっかけにもなったのです。
ダイバーはちょっとステータス
ダイビングにはまった頃、ダイバーであると言うことはちょっとステータスでしたね。周りにはほとんどダイバーはいませんでしたから、仲間や女の子と話をしても、自分だけが未知の世界を知っているわけですよ。ちょっとした優越感を感じますし、女性達も注目してくれます。 これはちょっと嬉しかったですね。そんな時、たまたまライセンスを取ったばかりの女性と知り合って、自分はベテランのダイバーだから、二人で潜ろうと、海へ誘ったのです。しかし、失敗しました。小さな湾の沖で浮上してしまい、彼女が潜行できなくなったのです。 さらに下げ潮でいわゆるリップカレント、陸に向かっては泳げない状態です。あせりましたね。結局ぐるっと大回りをして帰ることができたものの、たっぷり時間がかかって、へとへとでした。もちろん、それ以来彼女とは会っていません。というか会ってくれませんでした。(笑)
海で獲った魚介類を食べている、と誰かが通報
ダイビングの認知度がそれほど高くない頃に、ちょっとした事件が起きました。伊豆のあるダイビングポイント、季節は冬の終りだったと思います。仲間数名とダイビング&バーベキューを企画したのです。 潜った後に焚き火をして、浜でBBQをやったのです。その時に仲間の一人が気を利かせてサザエや魚を買って持ってきたのです。海から上がり火を起こして、ビールを飲んで、焼いた肉や魚を食べるのは最高の気分。 ところが、しばらくすると制服の警官がこちらに向かってきます。ちょっと高圧的な態度で話しかけてきました。どうやら、海で獲った魚介類を食べている、と誰かが通報したらしいのです。初めは信じてもらえませんでしたね。私たちも想像もしていませんでした。言われてみれば確かにその可能性もあるわけです。仲間がバッグの中に押し込んでいたスーパーのレシートをなんとか見つけ出して、やっと帰っていきましたが、いや驚きましたね。
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